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Yoga  Citta  Vritti  Nirodhah.

​ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは 心の作用を安止することである

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…初級者…

サロンで行うヨガ行法について

 ヨガ行法とは、見過ごしてきた自分自身に出会い、今一度つながり直すような生活実修です。その取り組みはとても素朴で優しい作業の繰り返しです。小さな動作のなかに本当の自分に出会う悦びが隠されています。ゆっくりと出来るところから取り組み、あなたらしいペースで心理的・身体的・生理的・精神的・社会的な健康を作り上げていきます。

 

ヨガへの取り組み方

 初めての方は基本をまず覚えましょう。ヨガを実行する人は、まず最初に『意識の改革』が行われるのが原点です。新しい意識が心構えとなってあなたの新しい動作に結びつきます。一つ一つの動作に目を向け、今まで意識できなかった問題に改善を積み重ねていきます。誤った扱い方から解かれると、心であれ体であれとても心地よくなります。喜びと楽しさをあなた自身で体験しながら進みます。その生活実修がいずれ大きな功績となって人生をより大きな幸福へと結びつけます。

 

ヨガ行法の概念

 初めての方はヨガの大筋を活用しましょう。ヨガとは心に始まり心で完結する流れです。その意味は、この世で手にしたそれぞれの『命=個性』を敬い、『個性』を最大に活かす生き方の実践と言えます。

 手順は、個性の発揮を妨げる五戒の理解から始まります。次に一番簡単な体の整え方に進み、徐々に内面作用や精神作用の調教へと進みます。体の扱い方を媒体に自らの意識の使い方の問題に迫り、改善改革する楽しさを覚えていきます。暮らしのなかで起こる不調や苦痛や不幸は、すべて自分のものの見方や在り方を改善するチャンスです。他に責任を見るのではなく、自分の行為そのものを洗うことが基礎になってます。ヨガにとって最大の敵は自我(エゴ)そのものです。

ヨガ行法の骨格は『煩悩消し』

 細かいことはさておき、鍛錬の骨格は『煩悩消し』です。煩悩とは字のごとく煩い悩むことで、心の苦しみの元になるものです。ヨガでは煩悩について次のように説明しています。5つの連鎖で構成されます。①無知(正しくないものを正しいと思ったり、純粋ではないものを純粋だと思い込む)に始まり、それがもとで②我想(エゴイズム・欲求や考え)を巡らせます。実施するも思うようにいかないと③憎悪や憤怒を起こします。今度はその感情が動機になってより自分の考え方に④執着します。強まり続けると⑤生命欲を掛けて証明しようと繰り返すようになります。現代社会で暮らすわたしたちの生活にいつでも入り込む考え方ではないでしょうか。

ヨガスートラの読み進め方

 初めての方は、まず実修部門からを読み進めてください。生活の中ですぐ実践できそうなヒントが解説されてます。本の筆頭には哲学と独特な基本原理(有神論)が展開されているので、人によっては馴染みにくいかもしれません。数千年前のインドで定説として扱われていた宇宙理論や概念はひとまず脇に置きましょう。実修は誰もがすぐ行うことができます。コツは、日常の体験とそれぞれの格言がゆっくり結びつつくかどうかです。本書は、人生をどのように捉えるか、人生は日々の暮らしの積み重ねだと気づかせていく教えになってます。

*行為主義からうまれた宗教哲学

 ヒンドゥー教は、最古の宗教バラモン主義(信仰主義)と、それに対抗した沙門主義(行為主義)の双方の影響を受けて誕生した民間宗教が始まりだといいます。行為が人を卑しくも崇高にもするという考えに基づいていて、身分差別を越えていく教えで古来はたいへん多くの民衆に親しまれました。ヨガも等しく因果律をほどくカルマヨガをはじめ、学者肌並みの研究が必要とされるジュニアナヨガや、親しみやすい親愛のバクティヨガなどが派生し、のちにそれらを総括したラージャヨガは世界中で現在も親しまれています。

*古来の心(citta)は 命の働きそのものを指します

 ヨガ哲学および仏教などの東洋思想が扱う『心』は、心理学の心とは違います。命の働き全般を指す用語です。肉体・知覚器官・知覚神経・意思作用(感じる・考える・行動する)すべてを心(citta)と定義しています。

ヨガ行法とは 五頭の馬と車体と騎手の関係です

 ヨガ行法はよく馬車に例えられます。知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経、車体は肉体、客人が崇高な魂です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次な意思が必要です。車体のメンテナンスも欠かせません。騎手は常に馬を統制する支配主なので、集中力と忍耐力と理性が日常的に必要です。

 わたしたちの知覚器官は常に情報を受信しているため、心が動揺しやすい環境下にいます。この本能が騎手の高度な理性によって統制できるようにするのがヨガ行法です。皆様が親しまれているアサナ(ポーズ)は、あくまでも車体メンテナンスの部分でヨガ行法の一角に過ぎません

*戒(シーラ)がすべてのはじまりです

 ヨガ行法の基本的学習は戒(梵語・シーラ)です。戒とは習慣性の意味になります。他人に強制されるものではなく、自分自身で善い約束事と習慣を作り上げていきます。ヨガ行法を試みる人は、毎日の暮らしの中で『本物の自律性』を目指して実践を重ねていきます。本物の自律性は、信頼と自由を与えてくれます。

*情報を処理する騎手にすべてが委ねられています

 五頭の馬と車体の動きが騎手の技術ひとつに関わっているのと同様に、わたしたちの生きることそのものも意思の使い方一つで決まります。悪い習慣はものの見方を誤ったのが原因です。ヨガ行法は意識の混乱(誤認識・錯覚・想像物の区別・記憶への囚われ)に気づき、自分で調教し、幸福な道へと導いていきます。

鍛錬による自己救済がベース音

 苦しみや悩みの原因は外ではなく、自分のなかの誤った見方や囚われであると気づければ、いつでも自分で自分を救済できます。周りに影響をされるのではなく、いつでも自分の心を救えるように実修します。独立した考え方(独存知)が容易くできるようにするための訓練が鍛錬です。

*ヨガ八支則(ラージャヨガ)

カルマヨガ、バクティヨガ、ジュニアナヨガを総括し、体系化されスートラに記されています。

第一 ヤマ…やってはいけない約束事

第二 ニヤマ…進んで取り入れていく約束事

第三 アサナ…身体的実修

第四 プラナヤマ…生理的実修

第五 プラティヤハラ…心理的実修

第六 ダーラナ…精神的実修

第七 ディヤーナ…熟達した精神的実修

第八 サマディ…一から七までが行われ 心に静寂があり安止する状態

*エゴ中心から解き放ち イキイキした生き方へ

 不調や苦悩の原因を外に見ず自らのエゴに置きます。癖や業(カルマ・情動)を積極的に自己鍛錬法で自浄し幸福へと導きます。

*ポーズは基本の動作を身につけて活用する

 パワーみなぎる活性化した体(自然体)を目指し基本の動作を体得します。ゆがみは大敵です。肉体訓練で必要な基本は、上下・左右・前後・ねじりの4パターンと、外を見るより内を見る意識の合わせて5つです。絶え間なく自分自身に集中し洞察しながら訓練します。

*楽しみながら持続を可能にしましょう

 初心者は身体を動かして、その心地良さを味わえるようになりましょう。楽しさや喜びを持続させていくために、肉体の正しい扱い方を学びたくなるようにしていきましょう。

・馬車の騎手のイメージを忘れないようにしましょう

・いいセルフイメージを持ちましょう

・やり過ぎ やらなさ過ぎにならないようにしましょう

・基本を大事にしましょう

・訓練の量は 訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう

・ちょっとずつ負荷をかけて能力の向上を目指しましょう

・継続は力なりと心得ておきましょう

・結果にとらわれるのではなく 実行とプロセスに意味を持たせましょう

・自分で自分を支える優しさを持ちましょう

…中級者以上

自分で気づくが基本 自問自答の世界観

長い道のりをひとりゆく

(清浄の地を得るは易し 清浄の心は得難し)

*五感コントロール法(プラティヤハラ)について

 八支則五段階以上は、他人を介さないたった一人での取り組みになります。また非常に緻密で精密な洞察を必要としていきます。体の訓練はウォーミングアップ、公私に渡り積極的に心理行動・情動・習慣を正していくように努めます。無我の境地に至れるようにエゴを律して浄化し、究極の安楽への道を歩みます。

 状況を把握し直す観想は自浄に欠かせません。この作業で一点集中力が強化します。人を変えることはできませんが、自分の心を変えることはそれに比べて容易です。生活のなかで偏見や誤解を解き、正しく物事が観れる力を向上させます。

 原因と結果をつなぐ訓練は精神的(知性と理性)発達を促します。行き詰まったときは指導者に相談したり、問答で意欲を分かち合いながら精神鍛錬を重ねていきます。

*瞑想作用は精神集中の道具

 心の中を観想するもの、理解するのも、意図的に思考を変えるにも精神集中が必要です。瞑想は精神集中が持続した状態であり、三昧に至るための道具・スキルです。欠かせません。

*環境に左右されない精神的実修

 海外のアシュラムに行ったときはとても落ち着くのに、日常生活に戻ると心が乱れるといったご質問をよく頂きます。これは『外側の条件』に多大に依存している証で、静かな所・条件の良い所でなら心が鎮まる状態です。上級者とはいえません。この認識作用が錯覚です。求道者は、錯覚や幻惑をも見破らなければなりません。

 ヨガ行法者が目指す修練は、喧騒な場所であってもまるで静かな場所に居るかの如く、心と体と行為が統制されていることです。

*精神修養は自問自答が欠かせません

 先達は精神鍛錬を鋭い刀づくりに例えてます。鋭い意識は真相を明かすからですね。極限状態に追い込まれたときや苦悩に囲まれたときほど、本当の自分の姿がよくわかると伝えています。つまり大きな試練ほど実力をつけるチャンスです。わたしは先達から『楽に苦あり、苦に楽あり』のことばを頂いています。苦の中から生まれる閃きは確かなもの。精神力は誰かにもらうものではなく、借りものでない力です。

*ヨガ行法者が常に問われるのは理性です

​ 狂信や盲信になる原因は『理性の欠如』です。教えを奥深くまで学べば、どのヨガにも常に理性が必要と説いています。

 本能は動物的なもの、理性は人間のもの、直感は人智を越えたもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると直感に近づきます。理性で到達できないものを先に直感が明らかにすることがありますが、直感は理性と矛盾することはけしてありません。直感とよく似た勘違いを正すのも修行です。真の教えである第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。

*段階的・科学的に一つずつヨガは深まります

 日々の生活のなかで因果関係を解いていくので、非常に静かな心の状態になります。また行法者は、時が経つにつれて自分にとって必要なものと、そうでないものを容易く見分ける力がつくので、暮らしはたいへん豊かなものになります。

 リトリートのような刹那的な安穏とは無縁になり、毎日が安らぎのなかで過ごせるようになります。

*心は真心のためにあるもの(解脱)

 独存。ヨガ行法によって心が容易に鎮座するようになるとそれが叶います。その生活は、心乱れることなく個性を発揮しています。それが『三昧』の境地=真心の姿です。実修と解脱によって平和と安穏に邂逅します。

 自己の成長を日々味わい真心で暮らし続ける楽しさは、近代社会を生きるわたしたちにとっても豊かさの形のひとつではないでしょうか。

自己鍛錬能力の向上・正姿勢への気づき

​ヨガの最終目的・三昧と歓喜法悦感

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