「わがまま」「ありのまま」「あるがまま」ちょっと変わるだけで、
随分と意味が違っています。
その違いを身につけるために、
古来から多くの人たちが体当たりでこの難題に挑んでいたと言います。
それは文面や文字で語られる世界とは、
程多い価値があるからなのだろうと思います。
意識の中身で似たところに、
優柔不断と寛容を取り違えたり、
寄りかかりと愛情を取り違えたりがあります。
他には、
「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」
似てる言葉ですけど取り違えて迷子になっているときってあります。
人っておっちょこちょいなところがあるモノなのだろうと思います。
責任の言葉にしても、
自己犠牲的の果てに体調を崩し、
自らの人生を蔑むような人さえいます。
それは取り込むものを間違えた果てのことだろうと思います。
有益と無益。
識別力の無さが人の健康と不健康に至らしめると、
アーユルヴェティックライフでは考えます。
もっと自分自身が普段使っている意識に意識を向けたなら、
これからは避けられるものが見つかるはずです。
例えば食事をさせているのもあなたの意識、
食事の内容を選んでいるのもあなたの意識、
いつ、どこで、なにを、どのように、なぜとるのか?
当てはめてやってみてください。
それをやるから自分らしさに一歩ずつ近づけるのではないかしら。
慢性(タマス)を越えてみんな意識して自分で見つけてみましょう。
いずれ人の言いなりや鵜呑みは危険であることがわかるはずです。
ゼロ・リスタート論にひとつひとつ当てはめて、
毎日のルーティーン全体をこれからは改めていきましょう。
結局はそれがあなたを成長させて、
「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」の足並みが揃って、
あなたのまわりの人も幸せにします。